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オラクルが儚い、と云われるのはもしかしていつでも“なかったこと”に出来るからか?などと考えてみる。
オラトリオのプログラムが壊れてもボディが残る。動いて、笑うオラトリオを見て、言葉を交わす人もたくさんいるんだろう。仕事をすれば成果が残る。気に入りの店があったり、使っていた小物が残ったりするんだろう。
でもオラクルがいなくなっても“オラクル”という個性をとか人格とかを示すものは残らない。毎日たくさんの研究者とやりとりを交わすけど、ほとんどの場合そこにオラクルは必要ないし、単純にただのオペレーティングシステムだと受け取れば、感情を持つ“彼”が存在することを考えることすらしないんじゃないかしら。個としてのつながりは、ごく限られてるんだろう。気に入りのティーカップも、羽ペンも、オラクルが創ってオラクルが維持してきたものだから、彼がいなくなれば何も残らない。朽ちる事もせずに骨も残さずにただいなくなるんだろう。
黒くそびえるモノリスを、というシステムの中枢を見て彼を思い出す人がいるんだろうか。でもそれはそういうシステムの存在と技術の敗北を教えてくれるかもしれないけど、“オラクル”の好きなものも嫌いなものもどんな風に笑うかも、何にも教えてくれないなら…それは見る人の記憶の中にあるだけで、やっぱり何処にもないのに等しいのではないだろうか。
プログラムだけの存在といえば、エモーションもそうだけど、彼女とも少し違うと思うのだよね。やっぱりコードもエモーションも自分の好きな場所に行って好きなものを手に入れて色々な形で存在の跡をつけていくことが出来るけど、オラクルは全部自分の内側に持ってるところなのかな。…いなくなるときは、全部道連れ。



いや本当にふと思っただけでそんなに深くもないのだけれど。
(ついでに云うとあの2人はどちららも、他のどのロボットよりもプログラムよりも、「明日には自分はいないかもしれない」ということに静かに覚悟を決めている気がします。一期一会を地で行く人たち。でも先にいなくなるのは自分のほうだとお互い決め付けている)
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